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藤本純季(トヨタ車体)公式コラム「ふじもん日記」|【第1話】「僕のハンドボールヒストリー~中学・高校編~」

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どうもふじもんです。ということで、「ふじもん」こと「トヨタ車体 BRAVE KINGS No.7 藤本純季」です。
この度「TRANSISTAR」のホームページでコラムを掲載させていただくことになりました。初めましての方も大勢いらっしゃると思いますが、これからよろしくお願いいたします。このコラムでは、僕自身のことをはじめ、チームのこと、そして「ふじもん流ハンドボール理論」等を月1回のペースで更新していきたいと思います。

まず今回は僕自身のことをもっと知って頂けたらと思いますので、次回と2回に分けて、「ふじもん」のハンドボールヒストリーを書いていきたいと思います。

ハンドボール人生のスタート

僕のハンドボール人生のスタートは今から15年前まで遡ります。
僕は、熊本県の天草にある「苓北町」という自然豊かな小さな町に暮らしていました。そんな町にあった我が母校が【都呂々中学校】。当時の全校生徒は50数名。クラスが20人未満の典型的な少人数学校でした。しかし、そんな小さな学校にも町中に誇れるような有名なものがありました。

それが【ハンドボール部

県内では常にトップレベル。過去には全国制覇も果たしたこともある、いわゆる名門でした。その他にあった部活動は【卓球部】のみ。小さいころから「野球・空手・サッカー」とスポーツ大好き少年だった僕は迷わずハンドボール部に入部し、本格的にハンドボール人生がスタートしました。

最後列右から2人目が藤本選手。2列目右から2人目は現在、トヨタ紡織九州で活躍する野田巨樹選手。

最後列右から2人目が藤本選手。2列目右から2人目は現在、トヨタ紡織九州で活躍する野田巨樹選手。


中学校入学当時の身長は150cm程。小さいながらにも運動神経には自信があったので、大きい相手に勝つためにとにかく練習に打ち込みました。また監督がGK出身だったこともあり、「こんなシュートは止めづらい」という視点から、シュートタイミングをGKにつかませないよう、様々なシュート技術を教えて頂きました。このシュート技術に関しては、その後のハンドボール人生において大きな武器になったと思います。

高校への進学

その後、県内屈指の強豪校である【熊本市立千原台高校】へ進学することになりました。また同時に親元を離れ、大宮先生(監督)宅での下宿生活もスタートします。

後列右から4人目が藤本選手。中学・高校時代も背番号は7番。

後列右から4人目が藤本選手。中学・高校時代も背番号は7番。


そして当時の僕は、2つの目標を立てました。

1つ目は『全国制覇』。これは高校生ならありきたりな話なので省略させて頂きます。簡単にいうと優勝してイベント(ハンドボール専門誌)に載るみたいなやつです(笑)

そして2つ目は『筑波大学への進学』です。特に深い理由はなかったと思いますが、当時の僕はなぜか“筑波大学”という響きに憧れがありました。高校選びをしている際に、大宮先生から「ハンドボールでも成績を残して、学校の成績もよければ筑波大学にも行けるぞ」と言われたのがおそらくこの目標を考えた発端だったと思います。そしてその言葉を信じ、『筑波大学への進学』を決意することになります。

入学してからはハンドボールに打ち込むことはもちろん、この為だけと言ったら語弊があるかもしれませんが、大学進学の為にいい成績を残そうと、とにかく勉強しました。もちろん授業態度も真面目なフリをしました(笑)。その甲斐あり、大学入試時の内申書や評定平均はとてつもなく良いものになっていたと思います(笑)

魔の「残り5分」

高校生ハンド―ボーラ―にとって一番大切な大会。それは夏のインターハイ予選です。
入学して最初のインターハイ予選。【千原台高校】は順調に勝ち進み決勝に駒を進めました。決勝の相手は熊本国府高校。終始リードしたまま試合は進み、試合終了まで残り5分で3点リード。勝利は目前。しかしそこから突然リズムが悪くなり、まさかの逆転負け。先輩たちが泣き崩れるのを観客席から茫然と見ていたのは今も忘れません。

そして1年後のインターハイ予選。僕はディフェンスでは3枚目を守り、オフェンスではセンタープレーヤーという重要なポジションで試合に出場することとなります。そしてこの年も順調に決勝まで駒を進めました。対戦相手は1年前と同じ熊本国府高校。1年前のインターハイ予選で敗れて以来、1度も熊本国府高校には負けることなくこの大会を迎えました。
試合は終始リードして進み、残り5分4点リード。セーフティーリードを保つも、ここからインターハイへのプレッシャーか、そこからまさかの2年連続逆転負け。その結果を信じることが出来なく、コートに泣き崩れ、頭が真っ白になりました。

その次の年のインターハイ予選は同じ熊本国府高校にほぼダブルスコアで勝利。念願のインターハイに出場することになりました。そして出場した大阪インターハイの結果は、2回戦負け。良い成績をおさめることが出来ず【千原台高校】でのハンドボール人生が幕を閉じました。

ということで、【〜中学・高校編〜】はここまで。まだまだ書きたい出来事はたくさんありますが、興味がある方は直接連絡していただけたらと思います(笑)。

次回は【大学入試編】から現在に至るまでを書いていけたらと思います。
それでは・・・

☆ふじもん☆

藤本純季選手
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