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三重バイオレットアイリス×TRANSISTAR|「世界を変える挑戦」(上)

昨シーズンから新体制となった三重バイオレットアイリス(以後、MVI)。櫛田監督梶原ビジネスマネージャーの二人に「昨シーズンの振り返り」と「今後の展望」を聞いた。(全3回)
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昨シーズンを振り返って

東屋:昨シーズンを振り返っていかがですか?

櫛田:昨年の5月1日から監督になり、3週間後に社会人選手権があって、ここでクラブ史上最高の3位という成績を残せたことにより、周囲の期待がグッと一気に上がった。
だけど、その後の国体でベスト16、日本選手権でベスト8と2つの大会ではクラブ史上最高成績を残せなくて…。

年明けから日本リーグがスタートして、開幕から4連敗してしまったけど、選手も前向きで、「プレーオフに絶対行こう。4連敗したけど最終的な勝ち点が大事だから、目の前のことに集中して頑張ろう」と言っていて。

調べたら過去11シーズンの上位4チーム(北國銀行、オムロン、ソニーセミコンダクタ、広島メイプルレッズ)の顔ぶれは変わっていなくて、その上位4つの中で順位は変わっていただけで。そこに「風穴を開けてやろう」って頑張っていたんだけど、11節の飛騨高山ブラックブルズ岐阜戦で引き分けてしまって、そこで完全にプレーオフの可能性がなくなった。

でもクラブ史上初めてプレーオフ争いが出来たシーズンだった。勝ち点が去年は18試合で9点、今年は12試合しかなかったけど同じ勝ち点をあげることができた。順位というのは他のチームがいるから自分たちでコントロールできないと思っていて。課題はまだすごくあるけれど手応えを感じたシーズンだった。

櫛田 亮介(三重バイオレットアイリス 監督)1977年生まれ、奈良県出身。 一条高校→中部大学→ホンダ→ ホンダ熊本→ESV Lok Pirna(ドイツ)→ TSV Weinsberg(ドイツ)→北陸電力 2015年より三重バイオレットアイリス監督に就任。

櫛田 亮介(三重バイオレットアイリス 監督)1977年生まれ、奈良県出身。
一条高校→中部大学→ホンダ→ ホンダ熊本→ESV Lok Pirna(ドイツ)→ TSV Weinsberg(ドイツ)→北陸電力
2015年より三重バイオレットアイリス監督に就任。


東屋:梶原さんはリーグの途中でMVIに加わりましたが、チームの状況はいかがでしたか?

梶原:ドイツにいた時もネットで試合を見ていたし、櫛田監督ともコミュニケーションを取っていました。
過去の歴史は知らないですけど、櫛田監督が来ていろんな情報を発信したり、女子トップチームでは最年少監督というのもあったりと、変化のあった1年だったと思う。周囲からも「変わった」という声は聞きます。これがスタートの1年になるなという感じがします。
僕が来てからは部分的に現場に関わることもあったし、メインの試合の運営や営業も経験しましたが、やれることがたくさんあるなと感じています。

ロースコアを狙っているわけではない

梶原 晃(三重バイオレットアイリス BM)1983年生まれ、愛知県出身。 名古屋南高校→レッド・スコーピオン→Sparta Munster(ドイツ)→TV EMSDETTEN(ドイツ) 2016年より三重バイオレットアイリス ビジネスマネージャーに就任。

梶原 晃(三重バイオレットアイリス BM)1983年生まれ、愛知県出身。
名古屋南高校→レッド・スコーピオン→Sparta Munster(ドイツ)→TV EMSDETTEN(ドイツ)
2016年より三重バイオレットアイリス ビジネスマネージャーに就任。


東屋:プレーオフ争いができるチームに変わった具体的な要因はありますか?

櫛田:俺が就任した当初より1試合の攻防回数を10回くらいペースダウンさせた。上位チームと戦う時はクロスゲームの展開に持っていき、いかに試合終盤まで勝ち点を拾える可能性をキープするかってことを考えていた。

クロスゲームになればホームゲームの場合、サポーターの方々の応援というアドバンテージもあるし、何が起こるか分からなくなる。ゲームのテンポをコントロールしたことが上位チームと争えた要因に繋がったと思う。

昨シーズンは1試合の平均失点も5点くらい減らすことができた。そこにはフィジカルを鍛えたり、チームの約束事を作ったりしたっていうこともあるけれど、意図的にゲームのテンポをコントロールした事により、平均失点が5点減ったのではないかと考えている。

東屋:攻撃回数を意図的に落とすからMVIの試合はロースコアが多いのですか?

櫛田:よく「MVIはロースコア勝負ですね」って言われるけど、ロースコアを狙っているわけではないんだよね。ローテンポだけど確率を上げていけば点数は入るやん。テンポはコントロールするけど、もっと高確率で点数を取りたい。でも昨シーズンはそこまで出来なかった。

人生で唯一のチャンス

東屋 健太(株式会社ファーストフロンティア 代表取締役社長)1982年生まれ、秋田県出身。 羽後高校在学中にインターハイに出場。2013年にハンドボールブランド「TRANSISTAR」を立ち上げ、代表取締役社長に就任。

東屋 健太(株式会社ファーストフロンティア 代表取締役社長)1982年生まれ、秋田県出身。
羽後高校在学中にインターハイに出場。2013年にハンドボールブランド「TRANSISTAR」を立ち上げ、代表取締役社長に就任。


東屋:櫛田さんが昨季からMVIの監督に就任されましたがキッカケは何だったのですか?

櫛田:MVI現GMの細野さんから連絡があったのがキッカケで。細野さんは僕が中部大学からホンダに入団した時のスカウトだったんやわ。その後、細野さんもチームが変わり、同じ人から今度は監督としてスカウトをしてもらいました。

東屋:では、もしスカウトされていなかったら選手として現役を続けていましたか?

櫛田:プレーが出来たかはわからないけれど、現役を長く続けることを大切にしていたからね。

今までも日本リーグ以外のチームからも何度かお誘いがあったんだけれども、日本リーグの選手の方が自分の中で優先順位が高いと考えていたのでお断わりしていました。
でも日本リーグチームの監督って男女合わせて16人しかいないわけで、オリンピックが自国で、自分が元気な時に開催されるのは2020年で最後だと思っていて、そこにハンドボールマンとしてどう関わっていくかというのをすごく考えていた。
監督の話をもらった時、指導者として「そこに何らかの形でチャレンジしていく方法もあるんだな」と思って。それをするなら2019年に監督になっても遅いやんか?これがギリギリのタイミングだと思ってやってみようと。

東屋:次に梶原さんにお伺いします。シーズン途中からMVIにジョインされましたが、キッカケは何だったのですか?

梶原:キッカケは櫛田さんですね。今だから話せるんだけど…(笑)

櫛田:(苦笑)

梶原:面識はなかったですけど、櫛田さんとFacebook経由でやりとりをさせてもらっていて。

櫛田:俺が北陸電力でプレーしていて、(梶原)アキラもまだドイツでプレーしている時にね。

梶原:帰国した時に一度お話しさせてくれませんか?って。
初めて会った時から「将来のビジョン」や「日本でこうしたいよね」って話をしていました。

僕はマネジメントをやりたいから、二人でバランス取りながらチームを作っていけたらいいですね」って話をしていたんですよ。もう3、4年くらい前の話ですね。

櫛田さんがこうやってMVIに監督として就任が決まった時に「いつか呼ぶから準備しといてね、前から話していたことを正式にやろう」と言ってくれていたんですよ。

僕もいつかは日本に帰ってハンドボールを仕事にすることができる環境を作りたいと思っていたんですけど。。。正直言って、僕は日本のトップレベルではプレーしていなので、日本のハンドボール界に帰ってきても僕のことなんて全然誰も知らないんですよ。このチャンスを逃したら一生、日本で思い描いた事は実現出来ないなと思って。人生で唯一のチャンスだと思って決めました。
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東屋:櫛田さんはなぜ梶原さんを誘ったのですか?

櫛田:今もコーチ留学や指導者になるために大学の部活動で勉強している人は割と増えてきたけど、マネジメントやビジネスの方でやろうと思っている人はほとんどいないと思うのね。

俺は現役選手の時からスポンサーさんにサポートしてもらっていて、それはどっちかと言うと、そうしないと競技を続けられなかったから必要に駆られて。ただ将来的には指導者に集中したいと思っていた。

クラブチームで経営的な部分を見ながら監督をやるっていうのは「すごいチャレンジだな」と思っていて。俺が監督のことをもっと集中してやろうと思うと、絶対にビジネスやマネジメント専門の人材がいると思って。

梶原:櫛田さんとは見ている方向は一緒で、日本のハンドボールを強くしたい、環境を良くしたいというのが大前提にあって。

ただ、やり方の問題だと思うんですけれど、日本でハンドボールを根付かせようと本気で思ったら、まずはお金が回る仕組み作りだと思っています。例え世界一になったとしても、生活できなかったら人生かけてそこを目指せない。誰かが良い環境を作って、選手がちゃんと「ハンドボール選手として生活をしていける」もしくはそれに値するだけの「得るものがある」っていう状況を作らなきゃいけないと考えています。そういった環境が整って初めて「世界と勝負する」とかそういったステージに行けると僕自身は思います。

今まではどうしても国や企業に頼ってお金を出してもらって、無理くり選手生活を続けて、選手生活が終わったらずっとハンドボールしかやっていなかったから、心に何かぽっかりと空いちゃうみたいなことも少なくなかったと思うんですよ。

そういうことを続けている限りは日本が強くなったり、ハンドボールが文化として根付いたりすることは絶対にないと思います。僕がハンドボールのマネジメントをやりたいと思ったのはそこがキッカケですね。

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