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藤本純季(トヨタ車体)公式コラム「ふじもん日記」|【第2話】「僕のハンドボールヒストリー~大学編~」

どうもふじもんです。今回は前回に引き続きふじもんの【ハンドボールヒストリー~大学編~】から書いていきたいと思います。

人生の岐路

 筑波大学進学を夢見て文武両道頑張ってきた高校時代。進路相談が始まると僕は迷わず推薦での「筑波大学受験」を希望しました。しかしインターハイ2回戦負けの競技成績では大学の受験基準を満たしておらず、国体で結果を残し、その成績で受験することを余儀なくされました。しかしその国体でも秋田県敗れ1回戦で敗退。その夢はあっけなく崩れることとなりました。

その後、僕にはいくつかの選択肢が与えられましたが、関東リーグでプレーしたいという憧れが強く、「関東の大学に進学したい」と監督に伝えました。
まず監督に進められたのは「日本体育大学」。日本中のトップ選手が大勢集まる大学で、特に1つ上の世代は「棚原世代」とも呼ばれたゴールデンエイジの集まり。そんな中でレギュラーを勝ち取って試合に出ることは厳しいと思い、僕は言われた時点で違う選択肢を探し始めました。

そこから他の大学も調べるわけですが、僕がハンドボールの推薦で入れそうな関東リーグの大学はなく、途方に暮れているとひとつの大学が目につきました。それが「早稲田大学」。今まで僕の頭に全くなかったこの大学でしたが、評定平均が高かったこともありAO入試なら受験だけはできるとのことでした。そして僕は無謀な挑戦と分かっていましたがダメ元で受験することを決めました。

そして「スポーツ科学部」「人間科学部」「教育学部」と3つの学部を併願。この年は「ハンカチ王子フィーバー」もあり、かなりの受験者数だったと思います。まず1次選考で約20%に絞られるということで、どの学部も落ちると思っていましたが、奇跡的に教育学部のみ1次選考を通過。受かる可能性が出てきたという期待に、そこからは地獄のような小論文の勉強と面接の練習が始まりました。おそらくこの時期が人生で最も勉強に真剣に取り組んだ時期だったと思います。

そんな時期を経て2次選考を受験。後日、大学のホームページに掲載された合格者発表の中に、自分の受験番号があった瞬間のあの喜びはこれからもずっと忘れることはないと思います。

恐怖・歓喜・挫折etc…いろいろあった大学時代

 大学時代を簡単に言うと、先輩から圧力が怖い、理不尽、謎な決まり事多い、リーグ戦の移動がなぜか学ラン、連戦の時ユニフォームをドライヤーで乾かすのが本当に大変。学校の勉強は難しすぎる、頭いい人のノートのコピーを購入したりする(笑)。などなど、大学時代の思い出は本当に語り尽くせないほどいろいろありますが、それはここで語ることではないので聞きたい方は直接お問い合わせ下さい(笑)
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それでは本題へ。学生ハンドボールといえば、リーグ戦の思い出もたくさんありますが、なんといっても『全日本学生ハンドボール選手権大会』。通称インカレです。

そして、早稲田大学に在籍した4年間のインカレを振りかえって思い出されるのは、やはり”あのチーム”との試合の数々です。もしかすると、ここまでで分かった方もいるかもしれませんね(笑)。その人は相当なハンドボールファンですね。  
その“あのチーム”とは『大阪体育大学』。僕が入学する2年前の「2005神奈川インカレ」から始まった『早稲田大学VS大阪体育大学』のインカレ決戦は、僕が卒業した1年後2011「2011岩手インカレ」に至るまで7年連続で対戦することとなります。

そして在籍した4年間のインカレの中でも、僕が一番印象に残っているのは、3年生の時。「2009石川インカレ」の時、2回戦で大阪体育大学と対戦した試合です。
その試合は前半からOF力の高い大阪体育大学をまったく守ることができず、相手のペースで試合は進み、前半は16-12と4点のビハインド。後半に入ってからもなかなか得点が縮まらないまま残り10分まで試合は進みました。そこからは何とか早稲田も維持を見せ、勢いに乗り連続得点を重ねて終了間際に29-29の同点まで追いつきました。延長に入ってからは、相手GK次々とシュートをシャットアウトされ続け、最終的には35-33と2点差で敗れました。試合終了と同時に、まるで優勝したかのように泣いて喜ぶ大阪体育大学の選手の姿は、目に焼き付いて離れず、その後、夢にも何回も出てきたのを覚えています。(笑)
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この悔しさもあったこともあり、僕はインカレが終わってすぐに、当時早稲田大学のスタッフだった「大城章さん」(現ソニーセミコンダクタ監督)に「自分が成長する為にもっと刺激が欲しいので、実業団の練習に参加させて欲しいです」と伝えました。いま思うと本当に生意気な大学生ですよね。(笑)

その後日程を調整して頂き、参加させて頂いたのが「トヨタ車体」のトレーニングです。そこでのトレーニングは本当に刺激だらけでした。体格、スキル、パワー、すべてにおいてレベルが違いました。こんなにレベルが違うのかと衝撃を受け、そのトレーニングはもっと上のステージでハンドボールをやりたいと思うきっかけになりました。そして当時はまだまったく決まっていませんでしたが、結果的にはこのトレーニングがきっかけにトヨタ車体へ進むことが決まり、その後の実業団生活へと続いていくことになります。

ということで2回に渡る、ふじもんの【ハンドボールヒストリー】はいかがだったでしょうか?特に大学編においては、まだまだ書き足りないことがたくさんありますが、ハンドボールと関係ないことばかりなので(笑)

いよいよ次回からは、本格的にハンドボールのことについて書いていきたいと思いますのでみなさんお楽しみに。
それでは。

☆ふじもん☆

《藤本純季選手》
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【第1話】僕のハンドボールヒストリー~中学・高校編~

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