駿台甲府高校男子ハンドボール部|八田政久×八田政史「父から子へ。受け継がれる伝統」
「山梨県ハンドボール界で一番有名な親子を知っていますか?」
6月の県予選を圧倒的な強さで勝ち進み、24年連続24回目のインターハイ出場を決めた駿台甲府高校男子ハンドボール部。
この4月より正式に監督に就任した八田政史新監督と前監督そして八田新監督の父親でもある八田政久校長にお話を伺いました。
負けられないプレッシャー

八田政史(駿台甲府高校男子ハンドボール部監督)1992年生まれ、山梨県出身
駿台甲府高校-順天堂大学-甲府クラブ
大学卒業後、ドイツへハンドボール留学、2015年11月に帰国、今年4月より駿台甲府高校男子ハンドボール部監督に就任。
ー監督として挑んだ初めての全国(選抜)大会はいかがでしたか。
監督:緊張はしていましたね。生徒以上に緊張していたと思います。
ー監督の戦いぶりや采配はいかがでしたか。
校長:関東選抜を見ていたので、どのような戦術で戦うのかは分かっていました。ただ選手の調子が悪かったですね。
私は練習にも出れていなかったので、ただベンチに座っていただけです。全て新監督に任せました。
ー選手から「監督」と呼ばれるのは慣れましたか。
監督:まだ慣れないですね。おそらく選手もまだ慣れていないですね。
去年はOBとして指導していたので、まだ「先生」というよりも「先輩」という感じだと思います。
ー次に八田校長にお伺いします。現場を離れてみて寂しさはありますか。
校長:「寂しさ」というよりは「申し訳ない」という気持ちの方が大きい。23年間連続でインターハイに出場してきたから、これを「誰に背負わせるか?」という問題もあったし。私が負けて次に渡すのならまだ良かったけど、勝ったまま渡さなきゃいけなかった申し訳なさが一つ。
あとはそれをずっと背負ってきて、やっとプレッシャーから解放されるという気持ちがもう一つ。実は気持ちが楽になりました。今まで背負ってきたものが大きくて。負けられないというプレッシャーでずっと戦ってきたので、肩の荷が下りました。先程、監督も言っていましたが、私もインターハイ予選の前日は眠れなかったこともありました。
この大きな責任を誰に渡そうかとOBみんなで考えた結果、私がやってきたことをそのまま引き継げるのはここ(政史監督)しかいないなと。話をして、最終的には本人が「やる」と言ってくれました。

ドイツへハンドボール留学をしていた八田監督
ー監督就任の話がなかったらずっとドイツでプレーしていましたか。
監督:そのままドイツでプレーしていたかは分かりません。いつかはここ(駿台甲府高校)で指導をしたいなとずっと思っていたんですが、思ったよりも早く来てしまいました。(笑)
ードイツへの留学中に学んだことで現在活かされているものを具体的に教えてください。
監督:細かい技術に関してはいろいろありますが、1番はコミュケーションの取り方です。ドイツでは選手と監督の距離感が近いという訳ではないですけど、コミュニケーションは頻繁に取っていました。
僕自身も生徒と年齢が近い為、コミュニケーションは取りやすいと思います。ただ時には叱らなきゃいけない場合もあるので、ちゃんと境界線は引くようにしています。
大切なのは「心」「人間性」

八田政久(駿台甲府中学校・高等学校校長)1963年生まれ、山梨県出身
甲府第一高校-筑波大学-甲府クラブ
大学卒業後、1年間会社員として働き、翌年に駿台甲府高校男子ハンドボール部監督に就任。2015年より駿台甲府中学校・高等学校校長に就任。
ーご自身が指導者として最も大切にしている部分は何でしょうか。
校長:私の場合は「常に全力でやらせる」ということでしたね。私の指導は「追い込んで、追い込んで…」という昭和的な考えでした。1番悪い状態の時にできれば本番でもできるだろうと。
(八田監督は)生徒をポジティブにさせるのは、上手いと思います。ドイツに行ってきた成果じゃないですかね。
私の場合は生徒を褒めない指導法だったので、生徒たちも「負けられない!」という気持ちでやっていました。インターハイでベスト8、選抜大会でもベスト8に何回か入ったことがあったけれど、そこから上の成績を残すには私のこの指導法では難しいのかな、とここ数年ずっと考えていました。そこからひと山越えるには何かがなければダメなのだろうなとは感じていました。
監督:大切にしているのは「人間性」の部分です。生徒には学校生活を含め、「人としてやるべきことはしっかりやる、徹底しろ」と言い続けていますね。これは駿台甲府ハンドボール部の良い伝統だと思います。この部分に関しては大学時代とドイツでの経験がすごく影響していると思います。
ー八田校長から見て、ここまでの新監督の指導はいかがでしょうか。
校長:大学を卒業して現場に入ってくると、どうしてもすぐに技術だけを指導したくなると思う。私はそれで失敗したのだけど、新監督は「心」や「人として」の部分から指導に入ったので、大丈夫だなと安心しました。
ーそもそも八田監督がハンドボールを始めたキッカケは何だったのですか。
校長:幼稚園に入る前から無理やりやらせたからでしょうね。長男が小学校に入る前に私がスポーツ少年団を創設して、家に(政史監督を)一人で置いておく訳にはいかなかったからね。
少年団を創設したのは「これからの時代は小学生の時からプレーしていないとハンドボールという競技は厳しいだろうな」と感じていたからです。今もその少年団はありますが、駿河台大学の内藤監督に引き継いでいます。
監督:私もそこで小学6年生までプレーしていました。
校長:その時は野球もやっていて。野球は自分で「やらせて欲しい」と言ってきたけど、ハンドボールは私にやらされていましたね。(笑)
ー監督は高校時代の最初の頃は別の学校で野球をやられていましたよね。
監督:そうですね。最初は別の学校で野球をやっていましたが、色々悩んでいて。
校長:愛知県で合宿している時に「本気でウチでハンドボールをやりたいなら一人で愛知まで来い」と言ったら、本当に一人で来ました。
ーそれは大きな決断ですよね。久しぶりにハンドボールをプレーする不安はなかったのですか。
監督:小学校の時からハンドボールをやっていたのである程度は何とかなりましたが、中学3年間を経験していないのは、今となっては大きかったなと思いますね。
伝統継承

母校を支えるOBの方々。今年で創部35周年を迎える。
ー現役時代から現在までで八田校長から1番学んだことは何ですか。
監督:技術的な部分も多く学びましたが、1番学んだことは「人としてどうあるべきか」ですね。
また駿台甲府の伝統でもある「走り勝つ」というプレースタイルはそのまま継続していく必要があると思っています。
校長:ハンドボール部はこの学校を代表する部活だと思っているので、そういった伝統は続けていって欲しいです。
ー今後、新監督にどんなことを期待したいですか。
校長:大学生時代も自分たちでチームを作ってきたし、せっかくドイツで技術を学んだり、世界のプレーを見て来たりしているので、それを生徒たちに還元して欲しいです。指導者をやるからにはプレッシャーに打ち勝って頂点を取って欲しいですね。
ー最後にインターハイに向けて意気込みをお願いします。
監督:インターハイは3年生の集大成になります。「去年の先輩たちを超える!」という気持ちで生徒たちも練習しています。そこまで導いていけるように指導していきたいです。
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